NYLIFE

ニューヨークのOLの生活あれこれ

ニューヨーク複業事情

私はファッション業界以外では働いたことがないので、 私の回りにいる人にのみフォーカスをあてて、 いきたいとおもいます。 

 

 日本に比べれば多いのかな。会社によっても個性がちがくて一概には言えません。 

 

以前働いていたDVFでは、 副業率は少なかったとおもいます。 が、 会社が、 SNSの重要性を重視し始めてから、 個人にもインスタなどをやるように推進。

ブランドのインスタページにも、 従業員をモデルに使って投稿するなどしています。 (個人のフォロワーも稼ごうとしている感じ?笑)でも、インスタのフォロワーが結構いる子が多くて、びっくり。若くて可愛い子が従業員に多いので、主にセルフィーとファッションでインスタフェイマスな子が多いです。  これから色々なビジネスに発展するのでしょうが、その時点で 個人でサイドビジネス (複業)をやる余裕のある時間がなかったので、複業をされている人はかなり少なかったと思います。

私の知る限りでは、私がやめてから入った、金髪美女が 本を出していましたね。  元々ファッションブロガーで、 ニューヨークであった友人、恋人事情、見たいなショーとストーリーを出版していました。 

従業員のキャラクターは、 みんなそんな感じ。 笑。 ちょっとキャピキャピした、 可愛い若い子が多いです。 ストレート男子は皆無。 とおもったら、一人だけいましたね、 プロダクションに。 中国人の固そうな男子一人、既婚。  ゲイの男の子は、いかにもファッション好き、という金髪アメリカ人のマーチャンダイザー。 そしてしっとり色気のあるロシア人ニットデザイナー。 

思い返すとある意味動物園みたいな職場でした。みんな個性的だったなあ。

DVD は、 すごい人員の入れ替わりが激しいところでしたねー。 会社が柔軟なのは、とてもいいことだと思うんですが、 CEOとか、 クリエイティブディレクターが超頻繁に変わって、2年以内とかでかわっちゃうんですよ。 売り上げが悪いと切られる、みたいな。 で、 我こそはと、 新しく就任したトップは新しい考えや仕組みを持ってきては消え。。。私たちはその新しい仕組みとやらに順応しつつ、既存のファッションのカレンダーにも合うようにあくせく働いて、時間外労働、週末労働でヘトヘトになる、みたいなサイクル。笑  結果・売上の出せないヘッドは2年以内に見切られているんですよね、で、業績が悪いと人員削減、を繰り返す。 アメリカでは人員削減はよく耳にすることです。 ただ、こういう会社で頑張って働いていて認められると、上には上がるチャンスはよくあります。 忙しい会社で、それほど規模も大きくない会社にいると柔軟に自分の頭で考えて行動することは強いられるので、重宝されると、チャンスはいっぱいやってきます。 

 

今働いている会社supremeでは複業率はかなり多いのではないかと思います。ストアではなくてオフィスにいる人に限ると、軽く50%以上の従業員は複業をしています。そして、それは会社内ではオープン。ペインターも数人いて、たまにスタジオを借りてギャラリーを開いていたり、オープンスタジオをやっていたり。 自分のブランドもを頑張ってサイドでやっている人もチラホラ。 私もブランド経営やったことあるけど、すごく体力使うから尊敬しちゃうわ。そして、そのサイドのブランドをやっている人たちのために、サイドで働く人もチラホラ。さすがメンズブランド、という感じで、ストレート男子率がすごく多いい!!こんなに男子がいる職場見たことがない。笑 ドラマも少ないし、みんな素直でいい人ばかり。 

後は、レコードのお店を最近ブルックリンに開いた人とか、ヨガの先生とか。 会社で働く時間は朝の9時から夕方の6時までで、残業も滅多にないので、複業はやりやすいんだと思います。お金のためにやっている人は一人もいなくて、自分の好きなことをやりたいからやる、という姿勢ですね。  あと、デザイナーの男子は全員スケーターか、元スケーター。お昼休みには、ご飯を食べながらユーチューブで頻繁にスケーターの動画見ています。仕事も真剣にするし、本当に好きなことをずっとやっている感じ。成功の裏にはパッションがあるんだなー。 

 

DVFの前に働いていたのはダナキャランの、コレクションの方(DKNYじゃなくて)。なんですが、そこでは複業をしている人は、チラホラ。10%ぐらいかなあ、もっと少ないかなあ。私もその一人。労働時間もデットラインの前とかはすごく長かったんだけど、若いとなんでも出来るもんですね。  若い頃の苦労は買ってでもしましょう。 この会社で働いている人の年齢層はある程度高くて、管理職の方々はダナキャランの創業当初からいたため、ダナは手厚い待遇をしていたのでトップは変わりませんでした。最近会社が売られるまで。トップのフットワークが重いと、会社から活気はへるんですよね。若い活気にかけていた、とでもいいましょうか。  

ここでの複業は主にデザイナーが、サイドで自分ののブランドをやったり、デザインコンサルタントをする、というようなものでした。 イギリス人のイケメンシューズデザイナーはいつも夜遅くまで残って自分のブランドのデザインをしていましたねえ。笑。彼はサイドで、違うブランドのデザインコンサルタントも意欲的に行っていて、コピー機にたまに違うブランドの仕様書があると、困惑したものです。 今は立派に自分のブランドもオペレートしつつ、フェンディーのプリエイティブダイレクターになってしまいましたね。 靴一筋で来ても、服のダイレクションもできるものなんですね。 本当に努力の賜物、という感じだと思います。 確か、彼の彼氏はサンローランでPRをやっていて、そのコネを使って〜とかいう人もいましたが、やはり努力と実力なくしては何もできませんよね。あと、努力の方向性も重要で、そういうのがうまくできていたんだと思います。 しかし、彼がダナキャランのためにデザインした靴は全然売れず、彼の自分のブランドのものは売れていた、というのは皮肉ですねー笑。

 

私は日本のファッション業界では働いたことないんだけど、ニューヨークのこういう話面白いのかなあ。 これからもちょびちょび乗っけていこうと思います!

また覗いてみてください!

 

それではでは。